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2024-02-09

モーニングセミナーで講話

金曜日の朝は、倫理法人会のモーニングセミナー。
いつもは講師の話を聞いて「うんうん、なるほど、そうか〜」と、耳を傾けています。
しかし今日は私が講話をする番でした。

講師は他の単会から来ていただく場合と、会員の中から講師を出す場合とあります。
毎月1回は会員の中から、講師を出して講話をしてもらいます。
今回はその番が私に回って来ました。

数日前から講話用のスライドを作り、今日の本番に備えました。
しかし、時間配分は、当日話してみないとわからない。
これまでも2回ほど講話を経験しているが、なかなか時間配分が難しい。

今回の講話のテーマは「父と親子になった日 母に感謝を伝えた日」でした。
ちょうど2ヶ月前に母が亡くなったので、今回は両親のことについて話そうと決めていた。
父のことについては、初めての講話の時にも話した。
しかしその時は、二人で講話をしたハーフタイムでした。

フルタイムでの講話は今回で2回目。
前回のフルタイム講話の時は、違うテーマだったので、今回の時間配分が全く読めませんでした。
自分が講話をするので、知り合いに声をかけて、モーニングセミナーに参加していただきました。
20人近く声かけして、最終的に4人の方に来ていただきました。
朝6時ですからね。4人も来ていただいて感謝です。

まずは母のことから話しました。
母が苦労しながら、私たち4人の子供を育てたこと。
子供が巣立った後は、独り暮らしだったこと。

入院から施設入所、そして再び入院。
最後は兄弟みんなで集まったこと、そして葬儀での体験まで。

倫理では両親へ感謝を伝えることを、よく学びます。
講話の中でも、そんな話がとても多い。
私も何度もそのような講話を聞いて来たので、母に感謝の気持ちを伝えたいと考えていた。
9月、10月、11月と奄美に帰って、母を見舞いに行った。

その時に、母に「産んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」と伝えたいと思っていた。
しかし、どうしても言えなかった。
それは、その言葉を伝えると、お別れの言葉のように感じてしまったから。
もう最後の言葉のような気がして、どうしても言えませんでした。

代わりに言っていたのは「また会いに来るからね」でした。
心の中で、「また会える」と自分に言い聞かせていたのかも知れません。
11月にも「また来るね」と伝えて奄美を後にしました。
でもそれが最後の言葉になってしまいました。
講話では、母の葬儀のことを話すと、どうしてもその時のことを思い出して、声が詰まってしまいました。

そして次は父のことを話します。
母と違って、父のことは大嫌いでした。
大嫌いになった理由、出来事などを話しました。

私の父は、私が物心ついた頃には、家にはいなかった。
別居状態で、時々家にやって来る存在でした。
精神病を患っていて、仕事もしていなかった。
そんな父親が大嫌いでした。

大嫌いだから「自分に父親はいない」と言い聞かせていた。
でも、中学校、高校と成長する中で、父に対する気持ちは変わっていった。
嫌いなことに変わりは無かったが、少しずつ同じ男として見るようになった。
「哀れな男だ」と見るようになっていった。

自分が家庭を持つと、嫌いという感情も無くなったが、だからと言って親しくなったわけでもない。
ただただ自分の父親だと自覚するだけの存在だった。

そんな父が亡くなったのが2004年。
父の死は、私たち兄弟にとっては、悲しいというよりは、安堵の気持ちの方が大きかった。
母が先に逝ってしまったら、父は独り暮らしは出来ない。
そうなると誰が父の面倒を見るのか?
そんな不安があった。

父の葬儀の時、告別式で棺に花を添えた時だった。
花を添えて父の顔を見た時。
なぜか涙が溢れてきた。

父の顔を見つめながら、嫌いだった父のことを振り返っていたら、なぜか「父のことを忘れてはいけない」そんな気がした。
自分でも無意識のうちに、4歳の息子を抱き上げて、「じいちゃんの顔覚えておけ、忘れるんじゃないぞ」と、ボロボロ泣きながら息子に訴えていた。
自分でもなぜそんな行動に出たのか謎だった。

その答えが、倫理法人会の「万人幸福の栞」を読んだ時に見つかった。
今日のモーニングセミナーも、たまたまその内容が載っているところでした。
偶然というよりも必然だったのかも知れません。

その内容の一部を抜粋します。

——【万人幸福の栞 第13条 本を忘れず 末を乱さず】————————————————-
最も大切な、わが命の根元は、両親である。この事に思い至れば、親を尊敬し、大切にし、日夜孝養を尽くすのは、親がえらいからではない、強いからではない。世の中にただ一人の私の親であるからである。私の命の根元であり、むしろ私自身の命である親だからである。
——————————————————————————————————–

どんな父親であっても、私の父なのです。
どんなに嫌っても、どんなに嫌がっても、父の存在がなければ、私の存在はない。
当然私の存在がなければ、息子の存在もない。
父の告別式の時に、本能的にそれを感じたのだと思います。

なんとか時間内に、話し切ることが出来て、無事にモーニングセミナーを終えました。
今回、両親への思いを話すことが出来て、私自身何か区切りがついた気持ちです。
両親がいたから、私がいる、そして私たちの家族がある。

両親への感謝を忘れず、明日からも頑張って生きて行きます。

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