父の命日に思う
昨日は次女の入学式でしたが、母の誕生日でもありました。
きっと電話しても出ないだろうと思いながら、お昼過ぎに電話を入れる。
やはり出ません。
かなり耳が遠くなっているようなので、電話の着信音も聞こえないのでしょう。
しかし、その5分後に電話がかかって来ました。
おそらく職員さんが着信履歴に気づいて、掛け直してくれたんだと思います。
自分の誕生日ということはわかっていましたが、幾つになったのかはわかっていませんでした。
93歳になったことを伝えると、自分の年齢にビックリしていました。
一体自分で幾つだと思っていたのだろう(笑)
そして今日は父の命日でした。
19年前の朝方に息を引き取った父。
まだ息子が4歳の時でした。
このブログで何度も父のことを書いていますが、私は父が大嫌いでした。
「今では好きか?」と問われれば、今でも好きではないと思います。
ただ、嫌いではなくなっただけ。
私の父は、私が物心ついた頃には、仕事をせずに私たちと別居していました。
精神病を患い、父の母親(私から見ればおばあちゃん)と一緒に暮らしていました。
父親がいない家庭を、幼い頃は特に何とも感じてはいませんでした。
しかし、小学校に入ると、自分の家庭が普通じゃないことに気づいて行きます。
友達との会話の中で「お前の父ちゃんなんの仕事しているの?」という会話が出てくる。
小学校低学年の男の子にとっては、自分の父親の仕事が誇らしい。
それぞれに「○○の仕事している」と、答えて行く。
私の番になり「仕事していない」と答える。
「なんで仕事していないの?」と、もちろん聞かれます。
私は「病気だから」と答えるが、さらに質問は続く。
「何の病気なの?」と。
この時「精神病」と答えるのが、本当に嫌で仕方なかった。
何で自分の父親だけ、こんな父親なんだ。とどんどん父を憎むようになって行った。
そしていつしか「早く死んでしまえ」と本気で思うようになった。
そんな大嫌いな父と、同居することになったのが、私が中学生の時。
大嫌いな父親が、狭い家の中に、常にいる煩わしさ。
当時の私の父親を見る目は、虫ケラを見下すような眼差しだったと思う。
中学から高校と、成長して行く中で、徐々に父親を見る目に変化が出てきた。
憎しみで見ていた父を、哀れみで見るようになって行った。
男として成長して行く中で、同じ男として見た時に、なんて哀れな男なんだと見るようになった。
高校を卒業して、社会人となってからは、父と酒を飲み交わすこともあった。
しかし、会話が弾むわけもなく、ただただ黙って飲み交わすだけ。
私の中の「哀れな男」としての父は、変わらなかった。
結婚して息子が生まれた時。
息子をあやす父の姿を見て、また少し感情が変わった。
哀れな父だが、こうやって孫の相手をできるだけでも、幸せなのかもしれないと。
息子が3歳の時。
父が倒れて動けなくなった。
入院して「良くなることはない」と医者から告げられた。
何回か家族で見舞いに行ったが、そう簡単に帰れる距離じゃない。
しばらく見舞いに行けなくなり、1年近くが経過した。
2004年4月7日、姉から電話が入る。
父が危篤状態。
急いで私と息子だけ翌日の4月8日の飛行機に乗る。
病院に着いたら、意識のない父の姿。
いや、意識はあったんだと思う。
ただ、反応する事ができない。
そのまま夜になり、夜中に何度も痙攣を起こす。
4月8日は母の誕生日。
そんな日に逝くのはやめてくれ。と願っていた。
何とか日を超えて、明け方近くに息を引き取った。
親戚やそれぞれの家族に、父の他界を知らせる。
嫁さんも一報を受けて、その日のうちに飛行機でやってきた。
お通夜、告別式と慌ただしく過ぎていく。
正直悲しんでいる時間は無かった。
それだけ慌ただしかった。
ただ、告別式の最後。
最後のお別れの時。
棺にみんなで花を添えて、最後にお別れを言う時。
何故か急に涙が溢れて止まらなくなった。
大嫌いだった父親。
早く死んでくれと、本当に思った時期もあった父親。
その父親の死に顔を見た時、何故か4歳の息子を抱えていた。
涙をボロボロ流しながら「じいちゃんの顔よく見ておけ。忘れるなよ。」と息子に言い聞かせていた。
こんな父親でも私の父親なんだ。
こんな父親でも、こんな父がいたから、私がいて息子がいる。
その気持ちが、息子を抱き抱えさせたんだと思う。
どんな父親であっても、父がいたから私の存在がある。
大嫌いな父だったからこそ、自分はこんな父親にはならない。と自分に言い聞かせた。
一緒に遊んだ記憶もない、殴り合いの喧嘩もした事ない。
何一つ父親らしいことをしてもらえなかったからこそ、私は理想の父親像を追い求めた。
今の私がどんな父親なのか?
それは子供たちに聞いてみないとわからない。
ただ、私は父ができなかったことを、自分が父親となってできていることが幸せだと思う。
本当は父もそうしたかったんだと思う。
今日は父のことを想いながら、天国の父と会話をするつもりで、ビールで乾杯したいと思います。
ビール飲みたいだけだろう?って。それもある(笑)
でも、父が居たから私がいる。
その気持ちを大切に、父を思い返して飲みたいと思います。