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2025-06-24

季節を感じる心を大切に

梅雨空が戻って来て「まだ梅雨だったんだ」って認識しました(笑)
いきなりの猛暑で、もう気持ちは完全に真夏になっていた。
例年なら梅雨真っ只中なんですよね。

梅雨って、雨がシトシト降って、カエルがゲコゲコ鳴いて。
なんとなく物静かで、少し憂鬱で、でも雨の景色を眺めて、少し心落ち着くような。
モノトーンの景色の中に、隠れた色彩を見つけるような、そんな世界観が好きです。

でも、今年の梅雨は全然違う。
真夏と豪雨の繰り返しみたいな梅雨ですね。
どんどん季節感が崩れていっている気がします。

家の周りには、田んぼも無くなってしまったので、夜になってもカエルの大合唱も聞こえません。
引っ越してきた頃、今から23年ほど前は、まだたくさんの田んぼがありました。
夜になって、窓を開けて網戸にしていると、夜風が入り込んできて、窓辺に垂らしていた南部鉄の風鈴が、チリチリリンと、涼しげな音色を奏でてくれたものです。
それに合わせるように、カエルの大合奏が聞こえてきて、水無月のシンフォニーを楽しんでいました。

昔はクーラー点けるのって、梅雨明けてからだった気がします。
それまでは窓開けて、入ってくる風で凌げていた。
でも、今はもう無理です。
今年なんて、5月の内にクーラー点けましたからね。

カエルの合唱が聞こえないのは、田んぼが減ったこともあるけど、クーラー点けるから、窓を開けなくなっているのも原因である。
大切な季節の音なのに、それを聞く機会を失ってしまっています。
天候も異常になってきて、どんどん風情が失われている気がしてなりません。

確か「虫の音」を楽しむのは、日本人独特の感性だと、何かで見た記憶があります。
西洋人には、単なる雑音でしかないらしい。
ということは、カエルの合唱も雑音にしか聞こえないのでしょうね。

日本人って、昔から自然と調和して生きてきたから、自然の中の音を楽しむ感性が生まれたのだと思います。
でも、現代は自然も減り、気象も異常化してきて、自然の音を楽しむ感性が薄れている気がする。
虫の音だって、自然がなくなれば、虫がいなくなって聞けません。
大都会では、虫の音は聞こえないでしょう。
仮に虫がいたとしても、街の騒音でかき消される。

日本人が培ってきた感性って、本当に繊細で多様なものだと思います。
でも、近代化でその繊細さが無くなってきているのかも。
そして忙しくて、その環境に触れる時間も無くなっている。

気候は異常化しているけど、やはり四季を大事にしたいですね。
そして季節ごとの音や色彩、風情を感じ取ることを大切にしたいと思います。
毎日が忙しくて、時間に流されるように生きている。
忙しくても、ちょっとした時間に立ち止まって、耳を澄ませ、心を研ぎ澄ます時間も必要ですね。

季節感は崩れているけれど、四季を感じる心を大切にしたいと思います。

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