母がいた故郷
今年は奄美が日本に復帰して70年だそうです。
70年前の12月24日(昭和28年(1953))にアメリカから日本に復帰しました。
当然私は生まれていません。
ネットニュースで見つけたのが、当時のカラー写真が見つかったとのニュース。
70年前のカラー写真というのは、とても珍しい。
当時の奄美の生活がよくわかる写真なんでしょうね。
下記のサイトで紹介されていますのでご覧ください。
奄美復帰70年 歴史の空白埋める写真
母の葬儀を済ませて、翌日は母の家の片付けも少しやりました。
私は二日後に帰って来ましたが、弟と大阪の姉がもう一日残って、だいぶ遺品整理と処分をしてくれたようです。
空っぽになった母の部屋を見て虚しかったと言っていました。
私の母は、県営住宅に住んでいました。
その前も長屋の仮住まいでした。
私もそこで育っています。
だから自分たちの家と言うのはありません。
県営住宅なので、近いうちに部屋を返さなくてはいけません。
そうなるともう私たちは、帰る場所は無くなります。
今度帰省するとなると、ホテルで宿泊することになりますね。
なんか寂しいですね。
帰省という感覚じゃなく、旅行みたいな感じになる。
故郷に帰るという感じではなく、故郷に行くって感じかな。
帰る場所が無いってのは寂しいものです。
まだ部屋が残っていれば、そこに母がいた思い出や、母の仕草など記憶が蘇る。
でもその場所も無くなり、記憶の中にしか残らない。
いなくなった現実を受け入れるには、その方が良いのかも知れないけど、思い出にも浸れないのはやはり寂しい。
奄美に居たのは、高校卒業の18歳まで。
もう奈良の方が40年近く住んでいる。
でも、やっぱり故郷は特別なものなんですよね。
これまでは帰る実家があったけど、母のいなくなった今、もう帰る場所も無い。
これまでは母がいて、遠く離れていても、心は常に繋がっていて、根っこは奄美にあるような気がしていた。
しかし母がいなくなって、根っこからもぎ取られたような、そんな感覚に陥っている。
母がいた空間。母がいた時間。母が過ごした場所。
何もかもが消し去られてしまったような虚しさだけが残る。
母の存在そのものが、消し去られてしまったような。
奄美に帰った時に「ただいま」と言える場所。
もうお墓しか残っていません。
切ないけど、それが現実だし、いずれ来るこの時を覚悟はしていた。
寂しい現実だけど、母は私たち子供の心の中で生きている。
家は無くとも、母のいた空間は無くとも、帰省した時はお墓で「ただいま」と手を合わせたい。
母がいた故郷だから。