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2025-04-10

昨日は父の命日でした

一昨日は、亡き母の誕生日でしたが、実はその翌日は父の命日でした。
入学式のことつぶやいたので、触れていませんでしたけど(笑)
父が亡くなったのって、母の誕生日の翌日だったんですよね。

もう21年前になりますが、昨日のことのように覚えています。
「父が危ない」と連絡を受けて、翌朝に奄美に飛んだ。
私が着いた時には、もう声をかけても反応はない状態でした。
その日が母の誕生日。

「まさか母の誕生日に逝ってしまう気じゃないよな」と、兄弟で話していた。
どんどん状態が悪くなっていき、日付を超えて明け方に近くに、父は旅立った。
最初は悲しみよりも、旅立った安堵感のような気持ちが強かったように思う。

全く尊敬のできない父だった。
正直、幼い頃には父を憎んでいた。
病気とはいえ、全く働かずにいる父。
家が超貧乏なのも、そんな父のせいと、子供心に父に対する憎悪は強かった。

私が高校生になる頃には、父を見る目も変わって行った。
成長と共に、どんどん「哀れな男」として見るようになった。
社会人になってからは、父に期待することもないし、とにかく大人しく人生を全うしてくれれば。と思っていました。

結婚して息子が産まれて、奄美に帰省した時には、息子を可愛がっている父の姿を見て、こんな父でも居てくれて良かった。と思うようになった。
私も父となって、少しだけ父の気持ちも理解できたような気もした。
でも「こんな父にはなりたくない」という、幼い頃からの気持ちはやはり変わっていなかった。

だからこそ、息子が産まれてからは、自分の父親像を追い求めていた気がする。
自分が父にしてもらえなかったことを、息子に目一杯してあげたいと思っていた。
一緒に遊んで、一緒に寝て、一緒にお風呂に入って。
肩車して、キャッチボールして。
遊園地に行って、動物園に行って、一緒に美味しいご飯たくさん食べて。

全て私自身がしてもらえなかったこと。
それを息子にしてあげることで、私自身が理想の父親を楽しんでいたのかも。

父が亡くなって、最初は安堵感が大きく、悲しみなってこれっぽっちも無かった。
まさか自分が号泣するなんて思ってもいなかった。
なんで涙が溢れたのかも、その時は理解できなかった。

告別式の最後。
棺の蓋を閉める前に、最後のお別れとして、親族で花を棺に入れる。
静かに横たわっている父の顔を見た時に、なぜか涙が溢れてきた。

父の顔を見ていると、いろんな感情が渦巻いてきた。
幼い頃に憎悪の気持ちで、父親を見ていた自分。
自分に父親はいないと、幼いながらに自分に言い聞かせていた。
そんな父だけど、それでもやはり私の父なのだ。

憎悪や哀れみや、虚しさや切なさや。
いろんな想いや感情が渦巻いていき、だんだんと胸に込み上げてくるものがあった。
どんなに憎んでも、どんなに嫌がっても、やはりこの人は私の父親だったんだと。
突然涙が溢れ出て止まらなくなった。

そしてそばにいた息子を抱き抱えて、息子にこう言った。
「じいちゃんの顔しっかり見とけ」「忘れるなよ」
涙をボロボロ流しながら、まだ4歳の息子を抱き抱えて、父の顔を見せていた。

誇れる父じゃ無かった。
父と思いたくない自分がいた。
でも、やっぱり私の父なのだ。

そう感じた時に、無意識に息子を抱き抱えていた。
こんな父でも、私の父なんだ。
息子に「顔を覚えておけ」と言ったのは、私自身に対する言葉でもあったのかも知れない。

今、3人の子供の父となった私。
理想の父親像を追い求めていたけど、きっと子供達にとっては理想の父親ではないはず。
でも、それで良いと思っている。

子供達には愛情を注いでいるつもりでも、子供からすれば、それは何も感じないもの。
私が旅立った時に、「お父さんが居たから自分がいる」と思ってくれたらそれで良い。
私が父を見送った時のように。

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