もう戻れない現実
昨日、兄弟の+メッセージに投稿があった。
母のことで連絡を取り合うために、+メッセージでグループを作っていて、これまでも連絡を取り合っていた。
母が元気な頃は、施設での様子を姉が動画に撮り、それを投稿してくれたりしていた。
母が亡くなってからも、いろいろと連絡を取り合うのに、+メッセージはそのままにしています。
昨日新たな動画の投稿があった。
それは母が暮らしていた県営住宅の部屋の様子。
全ての物を撤去し、部屋を返したのでした。
何も無くなった部屋の様子。
「ここにタンスがあった」「ここにテレビがあって」「ここで母は寝ていた」
そんな記憶が蘇ってくる一方で、もう母のいた空間さえ無くなってしまう現実が押し寄せてきた。
動画を見ながら切ない気持ちになりました。
今まで奄美に帰省した時は、当たり前に帰っていた家。
それがもう無くなってしまった。
もう帰れる場所が無くなってしまった。
覚悟はしていたし、わかっていたことだけど、やはり現実となると切ない。
母は居なくとも、母の居た場所が残っていれば、その思い出に浸ることはできる。
しかし、その場所さえも無くなってしまった。
帰る場所が無いというのは、こんなにも寂しいものなんですね。
これまで当たり前のように、奄美に帰って、この部屋に帰っていた。
それがもう出来なくなったことで、一気に故郷が遠い存在に感じてしまった。
もう帰っても、私の戻る場所は無い。
そしてそれは大阪の姉や、東京の弟も同じこと。
私たちは遠く離れている分、現実として受け止めながらも、どこかで非現実的になれる。
しかし奄美にいる上の姉は、近くにいる分、現実が辛く感じると思う。
最後まで母に付き添ってくれたのも上の姉です。
きっと私たち以上に、切ない思いでいることと思う。
高校卒業後、奄美を離れてもう40年になる。
奈良で暮らし、奈良で結婚して、家族を持ち、奈良で定住している。
でも、心では「自分は島んちゅ」という気持ちでいた。
心では故郷奄美に繋がっていた。
身体は奈良にあるけど、根っこは奄美にあって、いつでも奄美に帰っている気持ちがあった。
でも母がいなくなり、そして母の居た場所もなくなり、帰る場所も無くなった今、繋がっていた根っこがプツリと切れてしまったような感覚です。
もう戻れないんですよね。
寂しい現実だけど、受け入れていくしかないですね。
帰る場所は無いけど、故郷はあるんだし。
でも寂しい。